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神戸地方裁判所 昭和42年(わ)1783号 判決 1972年1月19日

主文

被告人中村正史、同米沢憲一を各禁錮一年六月に処する。

被告人両名に対し、この裁判確定の日から三年間、それぞれその刑の執行を猶予する。

訴訟費用中証人伊藤清志の第七回公判出頭につき支給した分および証人大村重雄に支給した分を除き、その余は全部被告人両名の平分負担とする。

理由

一、罪となるべき事実

被告人中村正史は、昭和二〇年一〇月神戸高等商船学校航海科を卒業して昭和二四年東京都千代田区丸の内二丁目三番二号所在日本郵船株式会社(以下、日本郵船という。)に入社し、昭和四〇年三月甲種船長となり、昭和四二年三月から日本郵船所有汽船(貨物船)ぼすとん丸(総トン数9,214.25トン)の船長としてこれに乗り組み、同船の運航を管掌し、乗組員を指揮監督し、船体の保全ならびに船内における人命の安全保持等一切の船務を統理すべき職責を有していたもの、被告人米沢憲一は、昭和三一年一〇月弓削商船高等学校航海科を卒業し、同年一二月日本郵船に入社し、昭和三八年甲種一等航海士となり、昭和四二年六月からぼすとん丸の一等航海士としてこれに乗り組み、船長を補佐し船内紀律の維持に努めるほか船舶の操縦、船体の保全、積荷および荷役に関する業務等甲板部に属する一切の業務を掌理すべき職責を有していたもので、いずれも四エチル鉛等の毒物その他の危険物をも含めた貨物の海上輸送の業務に従事していたものであるところ、同船は昭和四二年八月三一日および同年九月一日米国ニューオリンズ港およびバトンルージュ港でそれぞれ船積した四エチル鉛二〇〇リットル入りドラム罐合計五六〇本を後部上甲板左右両舷側に八ブロックに分けて積載し、同年九月一六日米国カルフォルニア州サンフランシスコ港を出港して横浜港に向かつて航行中、同月二一日アリューシャン列島南方洋上で暴風雨に遭遇し船体の激しい動揺と上甲板に打ち上げる激浪のため前記ドラム缶のうち、左舷前部に積載してあつた四八本のブロックのラッシングワイヤーが切れて同ブロックが崩れ、そのドラム缶が左舷上甲板上を転輾して左舷側に設置してある四番船倉ディープタンク(深水槽)Dおよび五番船倉ホールド前部の各ビルジサウンディングパイプ(積荷等からでて船倉内に溜る汚水をビルジといい、その測深管)、六番左舷燃料タンクエヤーパイプ等に激突してこれらを破壊するとともに、右ドラム缶のうち二三本が流失したほか一五本に破口を生じて液体の四エチル鉛が上甲板上に流出し、その一部が上甲板に打ち上げた海水とともに右各パイプの破損部位からそれぞれそのパイプを通じて四番船倉ディープタンクD、五番船倉ホールドおよび六番左舷燃料タンク内に浸入したが、被告人両名はいずれも当時右四エチル鉛の流出を目撃し、そのころ右パイプ等破損の状況を確認して四エチル鉛が右のように船内にも浸入して右各船倉と燃料タンクの内部を汚染したことを推知したので、過マンガン酸カリ五%水溶液(以下、過マンガン酸カリ水溶液という。)による除毒措置を講ずることとし、横浜港入港迄の洋上において、四番船倉ディープタンクD、五番ホールドについては、その各ビルジサウンディングパイプを通じていずれもバケツ三杯ずつの同水溶液を数回にわたつて注入し、六番左舷燃料タンクについては、海水の注排水を五回繰り返しそのうち三回にわたつて右と同様バケツ三杯ずつの過マンガン酸カリ水溶液を同タンクサウンディングパイプから注入する作業を実施した。そして、ぼすとん丸は同年一〇月一日、横浜港に入港し、その後、同月八日名古屋、同月九日神戸、同月一〇日大阪の各港に寄港してそれぞれ積荷を揚陸したが、大阪港においては前記のごとく四エチル鉛で汚染した四番船倉ディープタンクD、五番船倉ホールド等を含む各船倉に積んでいた燐鉱石を荷揚げするため、消毒業者国際衛生株式会社神戸営業所に依頼して同社作業員に指示し四番船倉ディープタンクDと五番ホールドについて多量の過マンガン酸カリ水溶液をその各ビルジサウンディングパイプを通じて注入するとともに、右各船倉下部のポットムシーリング(床板)の上からも撒布させて除毒措置をし、同月一六日大阪港を出航して坂出港を経て同月一九日下関港に入港するまでの間において積荷を揚陸した後の各船倉の清掃と燃料補給に備えて前記六番左舷燃料タンクの清掃を行うこととなり、同燃料タンクについては坂出港に向かう途中、乳化剤「ネオスSB三〇〇」一八リットル入り一八缶を海水とともに入れて加熱して洗浄し、排水後更に海水を漲つて同タンクエアーパイプから溢水させ空気抜きの措置をしたうえ、同月一七日、坂出港において清掃会社の作業員に同タンクの清掃をさせることとなつたが、前記の如き各職責上船内労働について安全管理の責任を有する被告人両名としては、

第一、四番船倉ディープタンクDおよび五番ホールドの積荷を揚陸したあとの清掃を清掃業者をして行なわせるに当つては、右二個所は四エチル鉛がその各ビルジサウンディングパイプから直接船底の各ビルジハット(倉底舷側に設けられた汚水溜り)内に浸入したものであり、かつ清掃人夫が右各船倉の清掃を行なうには、ビルジハットの中に立ち入つてビルジ等を汲み出す作業を行なうことが予想想され、四エチル鉛はその原液そのものが直接皮膚に触れても、またその飽和ガスを吸入しても生命に危険を及ぼすおそれのある毒物であつて、比重が重く水に溶けない性質を有するため、これによつて汚染され汚水等が溜つている前記各ビルジハットについては、前記の如くビルジサウンディングパイプから過マンガン酸カリ水溶液を注入しても四エチル鉛が下に沈み、両者の接触による酸化作用が十分行われず毒性が除去されないままに底部に貯溜しているおそれがあり、汚水等のくみ出し作業をすることは危険であるから、まず送風式ガスマスク、ゴム製衣服、ゴム手袋、ゴム長靴などで人体を覆う装備(以下完全防毒装備という。)をした乗組員により右各船倉底部の右各ビルジハットの蓋を開きその内部に過マンガン酸カリ水溶液を注入して攪拌しながら除毒する措置をとらせ、さらにガス検知器によつてその各内部の有毒ガスの有無を検査し、その安全を確認してからはじめて清掃に当らせ、しかもビルジハット内の汚水を扱う清掃作業員には完全防毒装備をさせて清掃に当らせ、もつて有機鉛中毒による危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにかかわらず、これを怠り、前記の如き単なる過マンガン酸カリ水溶液の注入または撒布によつて漫然四エチル鉛の毒性が除去され危険がないものと軽信して

(一)1  被告人中村は、五番ホールドの清掃指揮を担当する被告人米沢に対し、同ホールド左舷前部ビルジハット内の攪拌、除毒、ガス検知による安全確認、作業員の完全防毒装備等について何らの指示や注意を与えることなく、同年一〇月一六日午後一時ごろ、大阪港において船内清掃業協和装備株式会社(以下、協和装備という。)の清掃作業員大平幸男(当時二七年)ほか一一名を乗船させたうえ、同日午後三時ごろ、同ホールド左舷前部ビルジハットにおいて、右大平をして通常作業服のまま防毒マスクもつけずに清掃作業に従事させるに至らせた過失を犯し、

2 被告人米沢は、右清掃業者による同ホールドの清掃の指揮、監督を担当したが、同ホールド左舷前部ビルジハットににつき、攪拌による除毒、ガス検知による安全確認の措置も行なうことなく、協和装備側に清掃作業員の完全防毒装備について指示することもなく清掃作業員が通常作業服のまま清掃に当ることを知りながらこれを看過し右同時刻ごろ、右大平をして、通常作業服のまま防毒マスクもつけず同ビルジハットにおいて清掃に当らせた過失を犯し、

以上被告人両名の業務上の過失の競合により、右大平をして有機鉛ガスを吸入させ、よつて同月二六日午前三時ごろ、神戸市葺合区籠池通四丁目所在神戸労災病院において、同人を有機鉛中毒により死亡するに至らしめ、

(二)1  被告人中村は、四番船倉ディープタンクDの清掃指揮を担当する被告人米沢に対し、前同様の指示や注意を与えることなく、同月一八日午前九時ごろ、坂出港において協和装備の作業員佐藤岩次郎(当時四九年)ほか一四名を乗船させうたえ、同日午後二時ごろ、右ディープタンクDのビルジハットにおいて、右佐藤をして、通常作業服のまま防毒マスクもつけずに清掃作業に従事するに至らせた過失を犯し、

2 被告人米沢は、被告人中村の命により右清掃業者による右ディープタンクDの清掃の指揮、監督を担当したが、同ディープタンクDビルジハットにつき、攪拌による除毒、ガス検知による安全確認の措置を行なうことなく、かつ協和装備側に清掃作業員の完全防毒装備について指示をせず、清掃作業員が通常作業服のまま清掃に当ることを知りながら、これを看過し、右同時刻ごろ、右佐藤をして、通常作業服のまま同ビルジハットにおいて清掃作業に従事させた過失を犯し、

以上被告人両名の業務上の過失の競合により、右佐藤をして有機鉛ガスを吸入させ、よつて同人に約四ケ月の治療を要する有機鉛ガス中毒による傷害を負わせ、

第二、六番左舷燃料タンクの清掃を清掃業者に行わせるに当つては、四エチル鉛は、前示のごとく生命に危険を及ぼす毒性を有するほか、比重が重く油には溶けるが水には溶けない性質を有し、かつ過マンガン酸カリ水溶液が重油に混入した四エチル鉛の除毒には有効に作用しないため、同タンエヤーパイプを通じて同タンク内に浸入した四エチル鉛が前記の如き過マンガン酸カリ水溶液の注入およびポンプによる海水の注排水等の処置にもかかわらず、なお毒性を除去されないまま同タンク底の残油やスラッジに溶けこんで残留しているほか、同タンクの内壁に付着したスラッジ中にも浸透して残留しているおそれがあり、しかも同タンクの清掃作業は清掃作業員が内部に入つて底部に残る残油、海水、スラッジ等の汲み出しのほか内壁についたスラッジの掻き落し作業を行なうものであるから、まず消毒業者に同タンク内の除毒措置を行なわせる等の措置をとつたうえ、ガス検知器によつて同タンク内の有毒ガスの有無を検査し、その安全を確認しつつ清掃作業員をして完全防毒装備をさせて清掃に当らせ、もつて危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにかかわらず、これを怠り、前記の如く過マンガン酸カリ水溶液の注入および海水の注、排水等の措置により漫然四エチル鉛の毒性は除去され危険はないものと軽信して、

(一)  被告人中村は、あらかじめ日本郵船と連絡して消毒業者に同タンク内の除毒作業を行なわせる等の措置を怠り、同タンクの清掃指揮を担当する被告人米沢に対しても、同タンク内のガス検知による安全確認および清掃作業員の防毒装備等について何らの指示も注意も与えることなく、同タンクの清掃作業を開始させ、同月一七日午前一一時ごろ、坂出港において船内清掃業者新日東工業株式会社(以下、新日東工業という。)の清掃作業員古賀政義(当時三九年)ほか一二名を同船に乗船させたうえ、同日午後〇時ごろ、同タンク内において、右古賀ら別表記載の作業員一〇名をして、通常作業服のまま防毒マスクも着用させず清掃に当らせる過失を犯し、

(二)  被告人米沢は、清掃業者による同タンクの清掃の指揮、監督を担当したが、あらかじめ消毒業者に同タンクの除毒作業を行なわせる必要があること等適切な進言を被告人中村になさず、かつ同タンク内のガス検知による安全確認も行なわず、清掃作業員が通常作業服のまま防毒マスクもつけずに清掃に当ることを知りながら漫然これを看過して右同時刻ごろ、右古賀ら別表記載の作業員一〇名をして、いずれも通常作業服のまま同タンク内において清掃作業に従事させた過失を犯し、

以上被告人両名の業務上の過失の競合により、右古賀ら作業員一〇名をして有機鉛ガスを吸入させ、よつて別表記載のとおり右古賀ら七名をいずれも有機鉛中毒のため死亡するに至らせると共に作業員三浦政夫(当時四七年)ほか二名に対しそれぞれ約三ケ月または約四ケ月の治療を要する有機鉛中毒による傷害を負わせたものである。

二、証拠<略>

三、弁護人の主張に対する判断

(一)、本件の予見可能性について

弁護人らは、本件について被告人らは当時被告人らが持つていた四エチル鉛の性質に関する知識特にその毒性に対する認識をもつてしては、本件死傷事故の発生を予見することができなかつたもので、判示の如く四エチル鉛漏洩事故後被告人らがその除毒措置としてとつた作業にも拘ず、なお、四エチル鉛流入箇所に人命に影響がある程の毒性が残存していて、そこに清掃作業員が入つた場合に本件のような死傷事故を起すということは全く予見不可能であり、また被告人らの当時の知識ないし認識は一般に当時の船長または一等航海士として持つことが期待される程度に至らぬものとして非難されるべきものではなかつたから、被告人らに四エチル鉛に関する知識や認識の足りなかつたこと自体に注意義務違反があるとすることもできないから、被告人らに過失の刑事責任を問うことはできないと主張する。

よつて検討するのに、本件過失犯の成立の前提となる注意義務は、結果予見義務と結果回避義務に別れるがいずれも具体的な状況の下における具体的なものであることを要すると解せられるから、被告人らに本件結果発生の予見可能性があつて、結果予見義務違反として刑責に問えるかどうかについては、本件に至る具体的経緯をみなければならないが、争いがない点が多いので、ここにはその詳細を省略し、必要な範囲で触れることとする。

ところで、四エチル鉛の性状および毒性については、押収にかかる日本郵船海務部長より各船長宛のオクテル(四エチル鉛)の積付及び危険防止に関する件と題する文書(昭和四三年押第五一〇号の三、以下会社公文という)によれば、四エチル鉛はその比重が1.65で水より重く、甘いゼラニューム状の強い刺激臭か、または腐敗したキャベツのような特殊臭気があり、空気の一リットルに対し、五ミリグラム程度で飽和し、ガスは空気より重く、飽和ガスを六、七分呼吸しても死亡するおそれがあり、またその原液五〇CC位が皮膚に付着すれば死亡すること等が記載され、またエチルコーポレーション外一社発行の英文パンフレット二通(同号の七、八)および記録中のその翻訳文書によれば、四エチル鉛は、液体で水に溶けないが、油には溶けること、空気に露出すると容易に蒸発し、特に通風の悪い狭い場所で漏洩した場合は高濃度のガスが発生すること、そのガスを吸入することも原液を皮膚に付着させることも危険であること、したがつて洩れた原液を掃除する人はガスマスク(カニスターまたは送風式マスク)を着用し、ゴム長靴、ゴムまたは不浸透性の手袋等を装備しなければならないこと、ほんの少量が洩れた等は灯油または他の適当な軽油溶剤で洗い流し、さらに水で充分洗い流すのがよいが、多量に洩れた場合の汚染除去のためには過マンガン酸カリ五%水溶液を使用するのが、非常に有効であることが発見されているが、それは重油のような油類に混入した場合以外のことであること等が記載されており、被告人らがぼすとん丸の船内に保管してあつた右の会社公文や英文パンフレットにより右のような四エチル鉛の毒性および化学的性質と汚染除去の方法を認識していたと認められるだけでなく、被告人両名は、昭和四二年一〇月一日ぼすとん丸が横浜港に入港し、碇泊中四エチル鉛入りドラム缶の揚陸等についてその荷役の安全対策の指導のため日本郵船本社が招いた四エチル鉛研究の権威者である赤塚京治東京医科大学教授から同月二日船内において四エチル鉛の毒性、性質について一般的な講話を聞き、その席上田抗一等機関士から四エチル鉛の流入した油をたいても大丈夫かと質問した際同教授が四エチル鉛は油に溶けるから支障がないといつてその油溶性を説明したことも聞いており、被告人米沢は、同月五日日本郵船横浜支店において同支店員、荷役業者らと共に同教授から安全荷役についての具体的注意のほか四エチル鉛の毒性や性質等の講話を聴取したが、その際同教授は四エチル鉛を混入したガソリンタンク内で無防備で清掃作業をして死亡した米軍基地の事例を挙げてタンクの内部のような通風の悪い処の清掃をするには特に送風式防毒マスクが必要であること等の説明をしたこと、さらに被告人両名は、同月一三日大阪港に碇泊中荷主や荷役業者側の担当社員とともに同教授から、同港における燐鉱石の荷揚げ作業の安全対策につき具体的な注意のほか、右と同旨の四エチル鉛についての講話を聴取したが、証人原田明の証言によれば、その際同教授は右米軍基地のガソリンタンクの事例ではスラッジ等をかき落すには有毒ガス発生に備えて送風式ガスマスク等の装備が必要であり、荷揚げに関してではあるが、四番船倉のディープタンクD等の船倉内の汚染箇所はついて過マンガン酸カリ水溶液を十分撒布した後においても右船倉内に入るにはなおガスマスク等完全防毒装備をする必要がある旨注意したこと、その席に出席していた国際衛生神戸営業所長児玉きよ子の証言によれば、同女は赤塚教授が右ディープタンクBまたはDの船倉内において底部に相当溜つていた過マンガン酸カリ水溶液や汚水の処理について送風マスクを使用し、攪拌しながら吸みとりをやるようにと指示したのを聞き特に攪拌する理由を他の出席者に理解して貰いたい気持からわざわざ何故攪拌するのかと質問したところ、同教授から四エチル鉛は比重が重く水の下に沈み、しかも水に溶けないから攪拌して過マンガン酸カリに触れる部分を多くして酸化を早めながら排出するのである旨説明があつたことが認められる。この点につき、弁護人は同教授が右のような説明をしたことを否定しているのであるから、右児玉の証言は信用できないと主張するけれども、赤塚京治の証言調書を検討すれば、同教授は児玉から質問を受けたこと自体は記憶があるが、その内容を記憶していないと述べているだけであり、かえつて質問の内容が専門的で理に適つていたので、同女が薬品等の専門の知識のある人だと思つたことの記憶があるとつけ加えている位であるから、同教授の証言と対比しても、前記児玉の証言の信用性を否定することはできない。

したがつて、以上に述べたように、被告人両名はそれぞれその職責上読むべき義務があり、しかも読んでいたものと認められる前記会社公文および英文パンフレット二通により四エチル鉛について一応の化学的性質や毒性等の知識は得られた筈であり、さらに赤塚教授の三回にわたる講話や説明によつてその一般的な知識と認識をさらに深めたものであり、これに基づけば、

(1) 被告人らが、判示第一記載の四番船倉ディープタンクDおよび五番ホールドにおける場合のように船底の各ビルジハット内に海水と共に流入した四エチル鉛が比重が重く水に溶けない性質を有するため水の下に沈み、判示の如く過マンガン酸カリ水溶液をサウンディングパイプから注入しただけでは除毒が十分に行われず、なお毒性が除去されていないのではないかと判断し、その危険性を認識することは可能であり、

(2) また判示第二記載の六番燃料タンクにおける場合のように同タンク内に海水と共に流入した四エチル鉛がその油溶性のため残油やスラッジに溶けこみ、これらについては過マンがン酸カリ水溶液を注入しても除毒が有効に作用せず、その他判示の如きポンプによる海水の注排水等の措置をしても、容量一六二キロリットルの同タンク内の残油、海水等を全量排出することはできず、常に二トンないし三トンが残ることは被告人らがよく知つていることでありこれら底部に残つている残油またはスラッジに混入している四エチル鉛が毒性を除去されないで残溜しているのではないかと判断し、その危険性を認識することは可能であり

以上いずれの場合にも、被告人らが右毒性の残存に全く疑問をいだくことなく、専門家に確かめもしないで清掃作業員を内部に立ち入らせて作業をさせても危険がないと考えたことは軽信以外の何ものでもないといわざるを得ない。

なるほど、弁護人が主張するように、赤塚教授の講話や説明は、横浜におけるものは、上甲板に積載中の四エチル鉛入りドラム缶の安全荷揚げ対策を、大阪におけるものは、四エチル鉛で汚染された各船倉内の燐鉱石の安全荷揚げ対策を主眼としてなされたものであり、四エチル鉛の毒性および性状等についても一般的な説明をしたものであつて、同教授は特に汚染された判示の各ビルジハットや六番燃料タンクについて格別具体的な対処の仕方を注意したり指示することはなかつたものであり、前記会社公文や英文パンフレットにも特に四エチル鉛が船倉や燃料タンクの中に流入した場合の除毒の方法が記載されていたわけではない。しかしながら、本件においては、被告人らは、洋上で判示の如く四エチル鉛の漏洩事故に遭遇し、それぞれ船長または一等航海士として、その除毒作業や乗組員の安全対策に真剣に取組むべき責任のある立場に置かれ、日本郵船本社等と電信で連絡をとりながらその実行に当つて来たものであつて、前記会社公文やパンフレットの記載を注意深く検討しなかつたなどといえる立場になかつたものであるのみならず、横浜港帰着後は、日本郵船本社や各支店の指示や手配により船内にガス検知器が備え付けられ、赤塚教授が招かれ、横浜港において四エチル鉛入りドラム缶を揚陸せるについても、大阪港において四エチル鉛で汚染された船倉内の燐鉱石を揚陸するについても、同教授指導の下に安全荷役のための打ち合わせ会議が行なわれ、その各荷揚げ作業について消毒の専門業者国際衛生株式会社(以下単に国際衛生と称する。)の職員を特に関与させることと決められるなど四エチル鉛の危険に対処するため数々の慎重な措置がとられたが、被告人らは船側の責任者として右のような準備や配慮の下に右各荷揚げ作業の実施に当つて来たものであり、赤塚教授の講義も単なる傍聴者として聴いたわけではない筈であつて、殊に大阪港での燐鉱石の荷揚げについては、赤塚教授の指示に基づき、作業員は原則として汚染された船倉内に入らず、機械により掴み取りの作業をし、四隅の機械で掴めないものを運び出すときは完全防毒装備をした作業員が船倉内に立ち入ることとしていた作業や国際衛生神戸営業所の作業員による船倉内の過マンガン酸カリ水溶液の撒布も右と同様の配慮のもとに動力ポンプを使用して甲板上からなされ、船倉内に立ち入る場合には必ず完全防毒装備をしていた作業の実態をみたり、その報告を聴いたりしているのであるから、以上のような体験や見聞を重ねて来た船長や一等航海士にとつては、四エチル鉛の危険性に対する認識は十分な筈であり、その毒性や性状等について得られた筈の前記のような一般的知識からでも、判示第一の各船倉のビルジハットや判示第二の六番燃料タンクに対して判示の如く被告人らがとつた汚染除去の措置では除毒が不十分であり、防毒マスク等の完全防毒装備をしないで内部に立ち入り清掃作業をすることが危険であると判断することは可能であつて、被告人らにその判断をすべきであつたと期待することが不当であるとは到底考えられない。

弁護人らの所論は四エチル鉛の除毒のための過マンガン酸カリ水溶液の使用について英文パンフレット中の「水に溶解しない重油のような油類に用いる以外はすべての場合に適用して高度に有効である」という記載は余程注意深く読まないとこれによつて重油に溶けこんだ四エチル鉛にしては過マンガン酸カリ水溶液が有効に作用しないものであると理解するには困難な表現であり、そのことを理解できたとしても油に溶けた四エチル鉛の除毒の方法については記載がなく、前記の如き四エチル鉛の化学的性質や毒性を認識しても、専門家でない被告人らがその知識を応用して適切な判断をし、毒性除去の適当な方法を見出し処置することはできないと主張するけれども、右の英文パンフレット中の記載が必ずしも所論のように理解が困難な表現であるとは認め難いのみならず、この記載については洋上における四エチル鉛漏洩事故当時電信により対策指示を求めた先のメーカーである米国エチルコーポレーションから特に右記載の分を含む前記英文パンフレットの「漏洩の場合」の項の記載の指示に従えと返信があつたのであるから、被告人らがこれを注意深く読むことを期待するのは当然であり、それによつて重油に混入した四エチル鉛には過マンガン酸カリ水溶液が有効に作用しないことの認識は可能である。また重油に混入した場合の除毒方法については専門家でない被告人らが見出すことのできないことは所論のとおりであるから赤塚教授のような専門家の指示を仰ぐか、または国際衛生の如き専門知識のある消毒業者に依頼して処置させるしかないのではないかと考えられるが、被告人らがその機会が十分あつたのにこれらの挙に出なかつたのは不注意によつて過マンガン酸カリ水溶液の注入や注排水等の措置によつて六番燃料タンク内の除毒が十分になされて危険性がないと軽信したためであると認められる。換言すれば、本件で問題なのは、専門家でない被告人らが前記の如き四エチル鉛の化学的性質や毒性に対する一般的な知識や認識に基づきこれを応用して完全除毒の方法を見出し処置し得たかどうかではなくて、被告人らが判示の如きあらかじめ講じた除毒措置をもつて、それを専門家に確かめもしないでたやすく危険性がないと考えたことを軽信であると責めているのであり、被告人らに専門家に対してはじめて期待できるような応用判断を求めているのではないし、本件死傷事故発生後日本郵船がエチルコーボレーションに依頼して実施したような完全除毒の措置(船倉等の内部でガスマスクなしで安全に作業できる程度の除毒の措置)を求めているのでもないのである。

その他、弁護人らの所論を検討しても、本件においては被告人らが事故発生の結果について予見ができないものとも、予見することを期待することが無理であるとも認められない。

(二)、本件死傷事故の結果の回避可能性、注意義務との因果関係について

弁護人らは、本件注意義務の具体的内容はいずれも実行し得ないものか、或いは実行しても結局本件死傷事故の発生は防止することのできなかつたものであつて、本件は結果的にみれば、そもそも判示各ビルジハットや六番燃料タンクの清掃作業をすること自体を止めなければ死傷の結果発生を回避し得なかつた場合であると主張する。

しかしながら、前掲各実況見分調書その他取調べたすべての証拠を検討しても判示の如き各注意義務の内容が当時実行不可能のものであるとは認められず、被告人らが右各注意義務を尽くすことにより本件死傷の事故発生を避けることができたものと認められる。

すなわち、判示第一の四番船倉ディープタンクDおよび五番ホールドのビルジハットについてはその構造や大きさからみて棒などを使用して各ビルジハット内の汚水を攪拌しながら過マンガン酸カリ水溶液を注入し、底部に沈んだ四エチル鉛に接触させるようにして除毒措置をすることは何ら困難なこととは考えられないし、比重が重く水に溶けない四エチル鉛がビルジハット内の海水等の汚水の下に沈み、水に覆われた状態のままでガス検知を実施しても四エチル鉛の有毒ガスを検知することはできないことは所論のとおりであるけれども、右の如く攪拌しながら過マンガン酸カリ水溶液の注入による除毒措置をした後、ポンプにより排出し、なお残留した分につき同様の除毒措置をして排出するという措置をくり返えし、海水等をできるだけ排出した後にガス検知をして有機鉛ガスの有無を検知することは可能であるし、なおビルジハット内のポンプで排出しきれない部分の汚水等は人手によつてくみ出すほかはないが、この作業をするについては送風マスク等の完全防毒装備をして各ビルジハット頂部に設けられた口径約三八糎の穴から内部に立ち入ることは困難であると認められるが、その汚水等のくみ出しは必ずしもビルジハット内部に立ち入らずにすることができるものと認められる。

そして、判示第二の六番燃料タンクについては、司法警察員作成の昭和四二年一〇月二九日付実況見分調書等によれば、その内部は助板、桁板により仕切られて細区画され、その仕切りの鉄板の中央に円形または楕円形のマンホールがあつてこれをくぐつて各区画を往来できるようになつているが、その大きさからみて普通の体格の者が送風式ガスマスク等の完全防毒装備をして右のマンホールをくぐり抜けることはほとんど不可能であると認められるが、右六番燃料タンクに立ち入るため四番船倉ディープタンクDおよび五番ホールドの各倉底に設けられた二ケ所のマンホールからその各真下の区画には完全防毒装備をしても立ち入ることが可能であることは証拠上明らかであり、右二ケ所の区画においては清掃作業をするについて支障はないとみられ、右各区画において残油、残水等のくみ出しをすることによつて他の区画を含めた同タンク内の残油、残水を減少させることはできる(各区画の仕切りがあつてもその下部の穴によつて底部の残油、残水は各区画に通じている。)から、必ずしも所論のように完全防毒装備のままでは同タンク内の清掃が全く不可能だということはできない。もつとも、完全防毒装備のままでは他の区画に移れない以上清掃は十分にすることはできず、清掃所期の目的は達せられないことになるであろうが、人命の安全には代えられないのであつて、判示のように六番燃料タンク内の除毒措置を行なつたうえでガス検知器によるガス検知を各区画にわたつて実施してその安全の確認ができない部分がある以上完全防毒装備をしないで、その箇所に立ち入らせることは危険であるから、清掃をその限度で打ち切ることは人命の安全のためには止むを得ないといわなければならない。したがつて、右のように清掃の完全が期せられないからといつて判示の如く注意義務の履行として完全防毒装備をさせたうえ清掃作業をすべきことを命じたことが、実行不可能のことを命じたとして非難する所論は到底採用することはできないのである。

そして、完全防毒装備等判示各注意義務を尽くせば本件死傷の結果は避け得たものであると認められ、これに反し、完全防毒装備を清掃作業員にさせても本件死傷事故発生を避けられないのではないかとの所論は証拠上の根拠を欠き理由がない。なお、兵庫県警察技術吏員常俊定彦作成の鑑定書および同人の証言によれば、判示各ビルジハット内の汚水の下に沈んだ四エチル鉛の除毒には過マンガン酸カリ水溶液の攪拌による中和だけでは完全を期せられず、むしろ白灯油を注入し、これに四チル鉛を溶けさせてポンプによる排出をする方法を何回もくりかえすことによつて完全無毒化を図ることが良策であることが指摘されているが、仮りに右のとおりであつて、判示の如く攪拌しながら過マンガン酸カリ水溶液を注入しこれと四エチル鉛の接触面を多くすることによつて除毒を図る方法が完全無毒化を図るのに適当でないとしても、除毒にある程度効果があることは否定できず、しかも判示のようにガス検知によつて安全確認の方法をとり、完全防毒装備をして清掃に当らせることとすれば、本件死傷の結果は避け得たものと認められ、その他因果関係を否定する所論も理由がない。

四、法令の適用

被告人両名の各判示所為はいずれも行為時においては昭和四三年法律六一号による改正前の刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に、裁判時においては改正後の刑法二一一条前段罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するが、犯罪後の法律により刑の変更があつたときに当るから刑法六条、一〇条により軽い行為時の刑によるべきところ、被告人両名の判示第二の所為は一個の行為で一〇個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条により犯情の最も重いと認められる古賀政義に対する業務上過失致死罪の刑で処することとし、いずれの罪についても所定刑中禁錮刑を選択するが、以上は同法四五条前段の併合罪なので、同法四七条本文、一〇条により犯情が最も重いと認められる判示第二の古賀政義に対する業務上過失致死の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人中村、同米沢を各禁錮一年六月に各処することとし、なお後記情状を考慮し、被告人両名に対し、同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日からいずれも三年間それぞれその刑の執行を猶予することとし、刑事訴訟法一八一条一項本文により、主文第三項記載の訴訟費用は被告人両名の平分負担とする。

五、情状、量刑事情について

本件は四エチル鉛の猛毒をみせつけられた悲惨な事故で、その中毒により八名を死亡するに至らせ、四名に傷害を負わせた結果はまことに重大である。この結果の重大性にのみ着目すれば、過失犯と雖も厳刑をもつて処断すべきであるとして刑法の一部改正前の行為時法により最高刑の求刑をした検察官の主張も首肯できないことはない。しかしながら、

(一)  その過失の内容についてみれば、その注意義務の履行は必ずしも簡単容易のものとはいい難く、過失の程度を重くみることはできないのであつて、本件四エチル鉛の漏洩事故以来その事後処理に関与した日本郵船本社、大阪、神戸の各支店の各担当者は四エチル鉛の権威者赤塚京治教授を招き、荷揚に消毒業者国際衛生株式会社を関与させる等分担した範囲ではそれぞれ相当の努力をしながら、その間の連絡が必ずしも十分でなかつたことや、当時四エチル鉛の毒性についての一般の認識の不足から、これによつて汚染した判示各船倉内や燃料タンクの事後の処置について被告人らに注意や適切な助言等を与えることができず、また専門家として日本郵船本社から招かれ横浜、大阪の両港で合計三回にもわたつて被告人らに説明や講話をした赤塚教授が、右汚染船倉や燃料タンクに四エチル鉛の流入した事実を知りながら、同箇所の事後の措置(六番燃料タンクはとも角、五番ホールドや四番船倉ディープタンクDについては燐鉱石荷揚後清掃作業をすることは自明であると認められる。)について直接具体的な注意や指示ないし助言をしなかつたことは誠に遺憾であり、親切に欠けるものといわざるを得ないのであつて被告人らの過失に基づく本件の結果には右のような諸条件も介在していることをも考慮すると、被告人らに同情すべき点があること、

(二)  本件は業務上過失に基づくものとはいえ付随的な業務に関するものであつて、労働省令の四エチル鉛の危険に対処するための規則が本件死傷事故後改正された経緯などをみると、被告人らのみを責めるのは気の毒であること等の事情があるとみられること、

(三)  被告人らはもとより前科、前歴もなく、それぞれ長い間無事故で海上輸送に従事して来たものであること、

(四)  海難審判による審決を受け、本件審理中も本来の職務を離れ事実上の制裁を受け、現に十分反省しているとみられること、

(五)  本件事故後日本郵船側で被害者または被害者の遺族との間に示談が成立し、被害者側から嘆願書も提出されていること等諸般の事情を考慮し、被告人らに対し主文の各刑に処し右各刑の執行猶予をするのが相当であると認めた次第である。

(八木直道 藤原達雄 岡本多市)

別表<略>

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